人生の扉を開く 鍵・・・
私には、忘れられない瞬間があります。 それは、自分自身が障害という壁に直面したとき、そして医療・介護・福祉の最前線で多くの悩みと向き合ってきた中で出会った、「一つの道具」「一つの食品」が、その人の顔つきを劇的に明るく変える瞬間です。
健康を支える食品や、家事を楽にする道具。それらは単なる「物」ではありません。 「自分でできる」という自信を取り戻し、昨日まで諦めていた外出や趣味への意欲を湧き上がらせる、いわば人生の扉を開く「鍵」なのです。
本当に良いものが十分に行き届いていない・・・
しかし現場を見渡すと、本当に必要としている人の元へ、本当に良いものが十分に行き届いていない。その現状を、私は当事者として、そして専門職として、痛いほど感じてきました。
「もっと楽に、もっと健やかに、自分らしく生きたい」
この切実な願いに応えるために、私は自社ブランドを立ち上げ、新商品の開発に挑むことを決意しました。現場で培った知見と、私自身の経験をすべて注ぎ込み、細かな使い勝手や栄養、そして何より「使う人の心に寄り添うこと」を最優先に形にしていきます。
私の挑戦はまだ始まったばかりの微力な一歩かもしれません。 ですが、私たちの届ける製品との出会いが、誰かの日常を彩り、人生を大きく変えるきっかけになると信じています。
皆様の毎日が、より軽やかに、より輝くものになることを願って。
ケアコレ大分 代表 瀧上 英一
代表経歴
出身地:大分県
年齢:昭和50年生まれの50歳
障害:脳性麻痺(体幹機能障害、言語障害、変形性股関節症)
資格:作業療法士、社会福祉士、ケアマネジャー
職歴:作業療法士として療育センター、リハビリ病院、クリニックに通算12年間従事。
ケアマネジャーとして居宅介護支援事業所に通算12年間従事。
社会福祉士として地域包括支援センターに3年間従事。
私の軌跡~障害とともに~
出産時のトラブルで仮死状態となり、その際の低酸素脳症が原因で脳性麻痺となる。幼い頃はリハビリの毎日。重い装具をつけて「はしごを横にしたようなもの」をまたいで足を上げて歩く練習・・・いつも最後は泣いていたそう。
親の方針で保育園から普通クラスに通い、小中高、大学と健常者の中で育つ。「いじめ」や「からかい」、ふつうに差別があふれていた時代。その一方で正義感あふれる人も多かった時代。古き良き時代だったのかも。
小さい頃の夢は、医者。病院など医療機関に通うことが多く、自然に憧れていた。けれど現実は甘くなく、2浪の末、リハビリの専門職である作業療法士の道へ進んだ。
療育センター、療護センター、リハビリ病院、クリニック、リハビリの専門職として12年間働いた。33歳の時、右股関節が痛むようになり、変形性股関節症の診断。脳性麻痺の2次障害であり、手術を受け、半年間休職する。
復職するもリハビリの専門職は体への負担が大きく、デスクワーク中心のケアマネージャーに転職する。とにかく電話が多い職場、言語障害がある私は「転職、間違った」と思ったが、同僚に支えられ、10年以上続けることができた。
40代後半、手術した股関節や腰の痛みがひどくなる。一念発起し、社会福祉士の通信講座を受け、国家試験に一発合格。地域包括支援センターに異動させてもらい、地域住民への広報啓発などの業務を任される。
50代、毎朝の通勤や週5日のフルタイム勤務が体に応えてくる。体が動くうちに「障害が進行しても、続けられる仕事を見つけたい」と思うようになる。
50歳、長く勤めた法人を退職し、起業。